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福岡高等裁判所 平成2年(く)42号 決定 1990年7月02日

少年 R・H(昭46.10.7生)

主文

原決定を取り消す。

本件を福岡家庭裁判所小倉支部に差し戻す。

理由

本件抗告の趣意は、少年の法定代理人親権者父R・Yが差し出した抗告申立書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、少年を中等少年院に送致した原決定は著しく不当である、というものと解される。

そこで、本件少年保護事件記録及び少年調査記録を調査して検討するに、本件は、少年が、(一)自分の所属する暴走族「○○グループ」の構成員及びその親交者ら13名と共謀のうえ、平成元年4月8日深夜、福岡県遠賀郡○○町から約2.1キロメートルにわたる国道上において、自動二輪車5台、軽四輪乗用自動車1台を連ねて、制限速度毎時50キロメートルのところを約20キロメートル毎時の速度で道路一杯に広がり蛇行運転を続けたため、同一方向へ向け進行中の車両3台に対し、制限速度内における自由な進行を妨害し、集団への追従を余儀なくさせ、もって、共同して著しく他人に迷惑を及ぼす行為をした(司法警察員作成の平成元年5月29日付少年事件送致書記載の犯罪事実第一)、(二)公安委員会の運転免許を受けないで、平成2年5月13日夜、北九州市○○区で自動二輪車を運転した(同平成2年5月15日付少年事件送致書記載の犯罪事実(一)。但し、「午前10時57分」は「午後10時57分」の誤記と認める。)、(三)右(二)の日時・場所において、赤色信号を無視して右自動二輪車を運転した(同送致書記載の犯罪事実(二))というものであるところ、原決定は、少年が中学2年ころから原動機付自転車ではあるが無免許運転を繰り返し、交通短期保護観察等により関係機関から指導を受けてきたにもかかわらず、暴走族に加わって本件非行(一)(共同危険行為)に至り、更に、右事件の審判が未了であるにもかかわらず安易な気持から本件非行(二)、(三)を惹起していること、現在に至るも母は行方不明であり、父の存在が少年の行動の有効な規制にならず、他に規制するものもいないこと、本件非行(二)は常習的な無免許運転であって、全く罪障感なく遊び感覚で乗り回していることからみると、少年を矯正施設に収容して規範意識を養う必要があるが、他方、少年は一応家業を手伝い、最近では交通関係以外の一般の非行は認められないという事情もあるとして、少年を中等少年院に送致するとともに、交通短期処遇課程での処遇が相当であるとした(少年鑑別所の鑑別結果及び調査官の意見は、いずれも保護観察相当。)のであって、少年の交通非行性に鑑みると、原決定の処分もあながち首肯できないわけではない。

しかしながら、少年には、主体性・自己批判の弱さから安易に現実逃避し、気楽で安直な行為に追随し、法規範に対して鈍感であるという問題があるが、本件非行(一)は、走行自動二輪車がいずれも改造車でナンバープレートもはずされており、各車両の運転者が全員無免許運転で、警察の取り締まりに備えて少年らはいずれも覆面をしていたことなどからみて悪質な事犯ではあるものの、少年自身は暴走族の中心的なメンバーではなく、暴走族仲間に同調して共犯者の運転する自動二輪車の後部席に同乗していたにすぎないこと(本件非行(一)については、平成元年9月30日付で交通保護観察が相当である旨の調査官の調査票が提出されていた。)、少年の平成2年5月14日付司法警察員に対する供述調書には、少年がこれまでに400CCの自動二輪車を50回以上運転した旨の記載があるが、その時期がいつであったかは供述されておらず、本件非行(一)後も少年が無免許運転を繰り返し行っていたとみる資料に乏しいことや、少年らが昭和63年7月に暴走族「○△」を結成し、約2か月後に警察の補導で解散したけれども、その後も同様のメンバーで「○○グループ」として交遊を続け本件非行(一)に至っているが、その後は集団暴走をした形跡がなく、少年の交遊の状況もかなり変化していることから考えると、少年が自動二輪車の無免許運転を多数回敢行していたとしても、それは平成元年の本件非行(一)のころ(右事件で、軽四輪自動車の運転者は当日現行犯逮捕、4名は翌日早朝検挙され、少年は平成元年4月に警察の取り調べを受けている。)までのことではないかと思料されること、無免許運転に関係のある非行歴としては、昭和61年12月に原動機付自転車の窃盗で、昭和62年10月に原動機付自転車の無免許運転でいずれも審判不開始、昭和63年6月に原動機付自転車の無免許運転で交通短期保護観察の処遇を受けているが、いずれも原動機付自転車の関係であること、本件非行(二)の経緯は、少年が前夜遅く午前1時ころ帰宅して父親に叱られ、自宅に入れてもらえずに友人方に泊まり、同日午前8時ころ帰宅したときも父親に意見されてそのまま外出したが、午前9時ころ父親が仕事に出かけたころをみはからって帰宅したものの、父親に顔を合わせるのはまずいとして午後8時30分ころから外出して複数の友人方を訪ね歩くうち、すれちがった自動二輪車の運転者に声をかけ、運転させてくれるよう依頼して借り受け走行中警察に検挙されたというもので、安易な無免許運転ではあるが、偶発的な非行と認められること、少年は、昭和62年8月ころからシンナーの吸引をしていたが(昭和63年10月には毒物及び劇物取締法違反、窃盗の非行で不処分)、最近はこれを断っていること、また少年は、本件非行(一)の発生後である平成元年11月に窃盗(万引き)で審判を受け、不処分になっているが、当該事件は昭和63年10月に発生したものであるので、本件非行(一)から同(二)、(三)までの約1年1か月の間に少年の表立った非行はなかったこと、昭和63年2月ころ母親が家出して少年を指導監督するのは父親しかいないところ、以前父親との不仲もあって、少年が平成元年11月ころから平成2年4月上旬ころまで別々に暮らしていたが、同月上旬ころからは少年が16歳の少女との同居を条件にして再び父親とともに生活するようになり、父親のアルミ建具取付業を手伝い出し、時折深夜の帰宅等もみられ完全に落ち着いたとはいえないが、同居している少女が歯止めをかけていることもあって従前よりは安定した生活になっていること、一時期父親は少年を勘当したとして警察からの身柄引受け依頼や原審裁判所における調査審判に協力的でなかったときもあったが、これも父親の厳しさの故に出たものではないかとも思われるし、父親の監護能力は充分とはいいがたいが、平成2年4月上旬ころ少年と生活を共にするようになって以後、父親の対応にも柔軟さが加わり、父子関係が修復され始めるとともに好転しかかっていること、少年はこれまで家庭裁判所への事件係属回数は5回(審判不開始2回、不処分2回、交通短期保護観察1回)あるが、保護処分歴としては前記交通短期保護観察があるのみで、専門家による個別指導を受けたことがないうえ、少年の前述した最近の生活状況からみて保護司の長期的な指導監督により在宅処遇でもかなりの処遇効果を期待できると思われること、少年は今回初めて少年鑑別所に収容され、反省を深めていることなどを考慮すると、少年に対しては、現段階で直ちに施設収容による矯正教育を施すよりも、保護観察等の方法により少年を社会内で処遇しながら、少年の問題点の矯正と父子関係の改善を図るのが相当というべきである。

以上のとおりであって、原決定の処分は著しく不当であるといわざるをえず、論旨は理由がある。

よって、少年法33条2項、少年審判規則50条により、原決定を取り消し、本件を原裁判所である福岡家庭裁判所小倉支部に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 丸山明 裁判官 萩尾孝至 林秀文)

少年事件送致書<省略>

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